うじウィキペディア・タウンが行われました!

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うじウィキペディア・タウンが行われました!

平成30年度京都府地域力再生プロジェクト支援事業
うじウィキペディア・タウンが行われました!

うじウィキペディア・タウン(宇治wikipediaTown)
平成31年3月9日(土) 10時00分から17時00分まで
主催:Code for 山城
共催:ちはやぶる宇治の未来をつくる会
協力:京都府立図書館
場所:ちはやぶるルーム(京都府宇治市)

宇治槇島の地を当時の巨椋池の風景を思い浮かべながら歩いて、そこで知ったことをインターネット百科事典ウィキペディアに書いてみませんか?
みなさまのお越しをお待ちしております。

【プログラム】
10:00 JR宇治駅南口集合

【午前 まちあるき】
宇治槇島をまちあるきします。
JR宇治駅北口 → 誓澄寺 → 槇島城跡 → 蛭子嶋神社 → 三軒家

お昼休み

三軒家 → 巨椋神社 → ちはやぶるルーム

【午後 ウィキペディア編集】
ちはやぶるルームにて、ウィキペディアの書き方を説明した上で、
みんなで宇治槇島のことを書いていきます
うじウィキペディア・タウンの説明
ちはやぶる価値についての説明(森田)

ウィキペディア編集

成果発表、集合写真、終了

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みなさん、インターネット百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)をご覧になられたことがありますか?
インターネットの検索サイトから多くの方がご覧になられたことがあるのではないでしょうか?
でも、ウィキペディアは無料で見るだけだはなくて、誰もが自由に編集に参加して、ウィキペディアに書き加えていくことができるんですよ。

ちはやぶる宇治の未来をつくる会とIT技術を使って地域を元気にすることを目指すCode for 山城では、宇治槇島をまち歩きして、みんなで宇治槇島の情報をウィキペディアに書き加えていくイベント「うじウィキペディア・タウン」をCode for 山城とちはやぶる宇治の未来をつくる会さんの共催にて開催しました!

京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる地域にかつて巨椋池(おぐらいけ)という広大な池がありました。往時の巨椋池は蓮の名所でした。和辻哲郎の「巨椋池の蓮」には、大正15年夏の蓮見で、伏見から乗った蓮見船が、夜明けに辺り一面、蓮の花に囲まれ、古来の日本人が思い浮かべた浄土の幻想を感じたと書いています。しかし、昭和8年から昭和16年にかけての干拓事業で巨椋池は姿を消しました。そこには今、農地や宅地が広がっていますので、現在の姿から当時の巨椋池の風景を想像することはなかなか難しいです。
現在、巨椋池の往時の姿を残す場所として、小倉の三軒家に槇島堤、小倉堤が残っており、その高低差から当時の巨椋池を思い浮かべることができます。また、槇島に移転した宇治徳洲会新病院のすぐ西には蛭子嶋神社がありますが、槇島も蛭子嶋もその名前の通り巨椋池に浮かぶ島でした。槇島には室町幕府終焉の地である槇島城がありました。元亀4年の槇島城の戦いでは、織田信長に対して兵を挙げた足利義昭が室町幕府奉公衆であった真木島昭光の居城である槇島城に籠城しましたが、織田軍に包囲され降伏しました。槇島城は現在の薗場児童遊園の辺りであったと考えられています。
今回、ちはやぶる宇治の未来をつくる会さんと一緒に、当時の巨椋池の面影を思い浮かべながら槇島の地を歩いて、そこで知ったことをインターネット百科事典ウィキペディアに記述する「うじウィキペディア・タウン」を平成31年3月9日(土)に行います。午前中はJR宇治駅から、誓澄寺、槇島城跡、蛭子嶋神社、巨椋神社、三軒家などをまちあるきする予定です。午後はウィキペディアの書き方を説明した上で、みんなで宇治槇島のことをウィキペディアに書いていきます。
午前中は宇治駅 (JR西日本)駅に集合し、参加者約20名が宇治市槇島地域を干拓事業により消滅した巨椋池の風景を思い浮かべながら、うららかな春の陽射しの下、まちあるきを行いました。

平成31年3月9日(土)10時00分、好転に恵まれ、JR宇治駅に集合して、うじウィキペディア・タウンのまちあるきがスタートしました!

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まちあるきは地域の歴史に詳しい西田さんのご案内をいただき、誓澄寺、槇島城跡、蛭子嶋神社、巨椋池の堤跡が残る三軒家、巨椋神社を訪ねました。
まずは、誓澄寺を訪ねました。

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次に槇島城跡を訪ねました。
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干拓された巨椋池に広がる農地の中を歩きながら、巨椋池が広がっていた当時の風景を思い浮かべてみました。

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次に蛭子嶋神社を訪ねました。

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次に巨椋池の堤跡が残る三軒家を訪ねました。

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最後に巨椋神社を訪ねました。

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帰りは巨椋池時代の流路のあとをたどりながら、のんびりと帰路に着来ました。

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その後、会場であるちはやぶるルームへ移動しました。

まずは、うじウィキペディア・タウンの説明

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つづいて、ちはやぶる宇治の未来をつくる会の森田さんから、ちはやぶる価値についての説明をいただきました。

ウィキペディアタウンと宇治のちはやぶる価値についての説明の後、ウィキペディア編集を開始しました。

ウィキペディア指導の講師は、田村直人さん、池田峰子さん、村田幸司さん、河田和仁さんにお願いしました。

京都府立図書館の協力による地域資料を基に、宇治市の蛭子嶋神社、巨椋神社の2項目について出典を付した文章にて作成しました。
みなさんにその成果を発表してもらい、うじウィキペディアタウンは終了しました。

うじウィキペディア・タウン成果

蛭子嶋神社(新規)

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巨椋神社(新規)

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ご参加いただいたみなさん、お疲れ様でした。

共催いただきました「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」の森田さん、ご参加いただきましたみなさん、ありがとうございました!
とっても楽しかったですね!

 

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